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スーパープレゼンテーション考察 ~裸足の学校~
今回のテーマ元
Bunker Roy:Learning from a barefoot movement
さて、
本題の前に一つお知らせが。
前々…というか1ヶ月前ほどから、公式サイトで毎回のプレゼンテーション(プレゼンだけね)を見られるようになりました。
今週の分はここで見られます。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/121105.html
しかも、日本語字幕つきです、日本語。
さらに、その動画の下に話している内容を英文で丸ごと書いてあるので、動画を聞きながら英文を見てリスニングの勉強…というのも可能に。
少し動画にノイズがありますが、それを含めて考えても需要はかなりあるでしょう。
音声は英語。
字幕は日本語。
そして英語版字幕もある。
まさに至れり尽くせりですが、私はつい最近まで全く気が付きませんでした…番組に申し訳ない。
とにかく、これを使って内容の理解・英語の勉強など、いろいろ役立ててもらえるとうれしいです。
番組は見ていない人も、ぜひプレゼンだけでも見ていただきたい。
考えさせられる内容ですからね。
では、本題に入ります。
今回のテーマは「教育」。
主役はまだまだ発展途上にあるインド…その中でも農村部に住む人々です。
都会と違って充実した施設がありませんから、当然学校もなく、そのためほとんどの人は読み書きができない。
じゃあ、農村の人々は都会の人に劣るのだろうか?
答えはNOです。
学校もなく読み書きのできない彼らでも、経験・伝統に基づく卓越した技術を持っている。
専門者が無理だと思っていたことでも、地域の人に聞けばいともたやすく達成することができる。
地域の人の方がその場所を知り尽くしているからです。
農村部の人は現場の人、都会の人は経営する人と例えてもいいでしょう。
教養のある経営する人があれこれ考えていたとしても、大抵現場の人の考えが正しい。
それは、現場の人の方が経営する人よりもはるかに経験・それに基づく直観を持っているから。
しかし、今までその100%経験による技術は、注目も評価も応用もされなかった。
バンカー氏は、経験による卓越した技術…ひいてはたくさんの貧しい人を活躍させるために、"裸足の学校"を始めたと言います。
裸足の学校というのは「裸足」に意味があって、
靴も満足にはけない、つまり貧しい人々のための学校という意味になります。
また、何もない裸の…すなわち学歴などに全く覆われていない学校、という意味もあるかもしれません。
この学校の仕組みは他の学校とは全く違います。
まず、学位や資格を持っている人はいないこと。
学歴を持ったカチコチ頭の人ではなく、学歴はなくとも経験・自信・信念を持った人を必要としている。
経験が豊富である意味で、老人も教師として起用させていることからもその特徴がうかがえます。
2つ目に、はっきりとした契約がなく報酬も少ないこと。
働く期間は何年でも何日でも構わず、教える気概のある人を必要としている。
金目的ではなく、金がなくとも教える気のある人を必要としている。
ここで、大人の教師を選別しているともいえるでしょう。
そして3つ目に、在学生みんなが教師でもあること。
すなわち、互いに学び合える環境であること。
知っている人から教えてもらい、知ったことを今度は自分が他の人に教えていく。
かつて自分が教えて人から教わることも。
教師と生徒の立場が絶え間なく変わっていくということですね。
公式サイトの考察にもありましたが、
今の学校は教師と生徒の立場が固定化されているので、教え合うことでの学びが得られていません。
今後はどうやって互いに教え合う関係を作るのか、が重要になるでしょう。
この辺は、先週の『アイデアが交わるとき』に通じるところがあると思います。
現在、この裸足の学校での学びに他の地域の人も巻き込むことで、だんだんとその技術が広がっています。
当然お互いの言語も違うし文化なども違う。
しかし、驚くことに身振り手振りの教えで相手に伝わっている。
学ぶ人同士も身振り手振りで成り立っているのだからさらに驚き。
お互いの熱意……学ぶ意欲があるからこそ、だと思いますね。
専門家より当事者に聞くのが大事……外に頼る必要はない。
異文化との交換を大事とする先週の意見とは対照的に見えますが、そうではない。
経験のある人たちで技術を高め、それを交流することで次元を一つ広げる。
という意味ではないでしょうか。
交流自体は後半部分の通りやっていますからね。
経験を根幹としつついろいろ分析も行う、というのが大事だと思います。
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