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スーパープレゼンテーション考察 ~記憶は移ろい変わりゆくもの~



 今回のテーマ動画

 Elizabeth Loftus:The fiction of memory

 訳:「記憶は嘘をつく」


 動画リンク(日本語字幕付き)



 さて、

 今回はタイトルについてのちょっとした話から。

 考察するプレゼンのタイトル「The fiction of memory」のfiction。

 カタカナにするとフィクション。

 小説やドラマなどの最後には必ずつくあの言葉、「このドラマはフィクションです」で有名。

 サイエンス・フィクション……略してSFのFもこの単語が使われています。

 単語としての基本的な意味は「物語・作り話」などを表しますが、今回のプレゼンでフィクションをそうとらえると少しわかりにくい。

 「嘘」とか「想像」ととらえていただくとわかりやすいかと思います。

 あと、google翻訳で「fiction」と打ってもちゃんとした日本語の意味は出てきません。英和辞典にはあるんですけどねぇ。ちょっとした豆知識?



 
 そんなわけで本題に入りましょう。

 今回のプレゼンテーマは「記憶」「嘘」

 記憶とは、ものごとを忘れずに覚えていることを指します(wikipediaより)。

 記憶する内容は様々。

 過去の思い出や蓄えた知識、昨日の夕飯といった些細なことも立派な記憶。

 過去に見たこと聞いたこと感じたこと…すべての体験を脳にインプットしているわけです。

 考えてみると私たちは多くの情報を記憶として脳に蓄えていることが分かります。

 
 しかし、本当に今私たちの頭の中にある記憶は正しいのでしょうか。

 逆に言えば間違った記憶があるのではないか。

 よく皆さんも「勘違い」をすることはあるはず。

 一昨日したことを昨日したことと間違えたり、右にあったものを左だったと言ったり。

 あったものをなかったと言ったりなかったものをあったと言ったり。

 記憶する内容が様々なら、勘違いする内容も様々です。

 記憶というものは絶対正しいものであるふうに見えて、実はあてにならないものなのです。
 
 嘘

 

 
 今回のプレゼン者である心理学者・エリザベス・ロフタス氏は、そういった記憶の曖昧さを主張する1人。

 彼女は記憶の曖昧さについてある1つの訴訟を挙げました。

 
 事件の内容は、一般の女性が襲われるといった暴行事件。

 警察はその被害者からの証言をもとに捜査を進めていき、ある容疑者を挙げた。

 その男の名はS・タイタス。

 彼の乗っていた車が犯人の車に似ていて、彼自身も犯人に似ていた。

 「彼が犯人に似ている」という被害者の証言もあって警察は彼を逮捕。彼は裁判にかけられました。

 裁判の中で、被害者は「犯人はこの男で間違いない」と証言。

 タイタス氏の叫びむなしく彼は有罪判決を受け、刑務所へ。


 しかし事実は違った。更なる調査により真犯人を見つけ出し、タイタス氏は無罪であることが分かったのだ。

 彼は無事刑務所を出られたが時すでに遅く、彼を待つ仕事場も何も残っていなかった。

 彼は怒りにあふれたまま、ストレスによる心臓発作で死亡。

 「似ている」から「間違いない」に変わってしまった記憶。

 証言による冤罪が生み出した悲しい出来事でした。

 天秤

 エリザベス氏曰く、記憶の曖昧さによるこういった冤罪は冤罪全体の4分の3はあるとのこと。

 4分の3。100人いたら75人。

 つまりは、かなりの割合で証言者が「記憶違い」をしている可能性があるのです。

 そして多くの人々は記憶を正しいものとして考えている。



 
 それにしても、日常的な出来事ならともかくひどい出来事についての記憶を間違えてしまうことがあるのだろうか?


 そこで彼女はある実験をしました。

 実験者に交通事故の映像を見せ、グループごとに質問を変えるとどのように答えが変わるのかを記録。

 もしも人々の記憶が正しいものならばどのグループも同じような答えになるはず。

 しかし結果は違った。

 過激な言葉を使って質問した方が、普通に質問するより事故の被害が悪かったように答えたのです。

 さらには実際になかった被害まで答える人も増加。

 人々の記憶に強く残る交通事故でさえ、記憶違いは多く起こるわけです。

 
 もう一つこの実験で重要なのは「質問が答える人の記憶を変えた」ということ。

 詳しく言うと、他人の発した言葉によって相手の記憶を意図的に書き換えることができる。

 たとえ相手が経験したことでも書き換えられる。

 実際、彼女の実験によりいろいろな記憶を人々に植えつけられることが分かりました。

 いやな記憶でも奇妙な記憶でも心温まる記憶でも。

 倫理的にどうなのかはさておき、実験として証明はされました。

 脳

 
 
 エリザベス氏はある疑問を出します。

 「記憶の書き換え(虚偽記憶)はあってもいいかどうか」

 詳しく言うならば、

 記憶を植え付ける人の精神にとって良くなるならば虚偽記憶はあってもいい

 もしくは

 どんな状況でも虚偽記憶はあってはならない
 
 皆さんはどちらでしょう。

 
 もちろん相手にとって嫌な記憶を植え付けるのは論外。

 では相手にとって良い記憶を植え付けるのはどうなのか。

 例えば、幼いころに両親に捨てられて別のところに養子となった……でも養子というコンプレックスが子供を苦しめている。

 こんな時に「自分はもともと今いる親の子供だった」という記憶を植え付けるのは良いことでしょうか。

 真実を知ったまま彼を苦しめるのか、嘘でも彼の心を幸せにしてあげるのか。


 もう1つ例を出しましょう。
 
 ある子供が野菜のほとんどを嫌がっている。食べなければ子供の成長に関わる。

 その子に対して虚偽記憶を植え付けて野菜を食べられるようにする、これはどうだろうか。

 子供の将来を考えればよいことなのは明らか。しかしそこまでする必要があるのかどうか。

 この辺になると反対派の方が多くなるかもしれません。


 
 私個人としては虚偽記憶の賛成派。

 なぜかというと、そもそも虚偽の情報が日常にあふれているからです。

 ネットの情報をはじめ、雑誌、テレビ、新聞……

 全ての人に平等であると見せかけて、メディアには偏った意図的な部分が多くあります。

 特定の内容しか公開しなかったり意見を片寄らせたり、言いたいことを伝えるために必要な部分を隠して公開する「解釈のウソ」もあります。

 人と人との会話でも同じこと。

 話を盛り上げるために実際になかったことを付け加えたり、伝えていく中で事実と想像がごちゃ混ぜになっていく。

 最後には話のほとんどが嘘であることもしばしば。

 つまり、私たちは常に相手の記憶を書き換え、自分の記憶を書き換えられて生きている。


 だから、真に考えるべきは「記憶(情報)の扱い方」

 相手が言ったことをそのまま鵜呑みにしてはいけない。

 どんなに信頼できる所からの情報でもまずは自分で考えてから受け入れる。

 実際の情報と受けた情報の間には必ず抜けている所があると考える(実際に私の記事も後半部分の話が抜けていますからね)。

 

 
 

 あまり記憶をあてにしないように、そして人の勘違いには寛容に。





 
 Thank you.







 
 

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 2016年9/14再開 リンクフリーです。
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